経験によって保証されている。実際、それは必然的な法則であるどころか、厳密に真実でさえない。あらゆる場合に相違が存在するからである。いくつかの事例では、こうした相違は容易に観察でき、したがって直ちに明らかとなる。また別の事例では、それらを明らかにするために、最も洗練された観測と天文学的な精度が要求される。大まかに言えば、心拍のように生物に依存するあらゆる反復は、他の反復と比較して急速な変動の影響を受けやすい。大きく、安定しており、明白な反復――極めて高い精度で相互に一致するという意味で安定しているもの――とは、地球全体の運動や、天体の同様の運動に依存する反復のことである。
したがって、私たちはこれらの天文学的な
回帰現象は等しい時間間隔を刻む。しかし、天文学の精緻な観測によって検出されるそれらの不一致を、我々はどう扱うべきなのだろうか。一見すると、我々は、これら一連の現象のいずれか一方が等しい時間を刻んでいるという恣意的な仮定――例えば、すべての日が等しい長さであるか、あるいはすべての年が等しい長さであるという仮定――に頼らざるを得ないように思われる。しかし、そうではない。何らかの仮定を置く必要はあるが、天文学者が時間の尺度を決定する際の手続き全体を支えている仮定とは、運動法則が厳密に検証されているということなのである。
その方法を説明する前に、時間の尺度の決定が天文学者に委ねられているのは、(前述の通り)彼らが扱う繰り返しの現象が安定した一貫性を持っているからである、という点に注目するのは興味深い。もし人体に特有の繰り返しの現象に、それと同等以上の優れた一貫性が認められていたならば、私たちは当然のことながら、時計の調整を医学の専門家に求めていたはずである。
運動の法則がこの問題にどのように関わってくるかを考えるにあたって、時間の測定方法に整合性のない二つの尺度を用いれば、同一の物体に対しても異なる速度の変化が導かれることに留意されたい。例えば、1時間を1日の24分の1と定義し、時速20マイルで2時間一定の速度で走る列車を例にとってみよう。ここで、極めて不整合な時間の尺度を導入し、最初の1時間が2番目の1時間の2倍の長さであると仮定する。すると、このもう一つの時間の尺度によれば、列車の走行時間は二つの部分に分割され、その各期間において列車は同じ距離、すなわち20マイルを走行したことになる。しかし、最初の期間の長さは2番目の期間の2倍である。したがって、列車の速度は一定ではなく、平均すると2番目の期間の速度は最初の期間の速度の2倍ということになる。このように、~に関する問いは