[図]21からわかるように、において、正の値のみに限定し原点を除外すれば、連続関数が得られる。同様に、同じ関数であっても、負の値のみに限定し原点を除外すれば、これも連続である。また、[図]20にグラフ化された関数は、との間、およびとの間、さらにとの間、というように、いずれの場合も端点を除外すれば連続である。しかしながら、あらゆる点で不連続となるような関数を見つけることは容易である。例えば、が有理数であるときは、が無理数であるときはとなるような関数を考えてみよう。この関数は、すべての点で不連続である。
最後に、上述した連続性の定義をもう少し詳しく見ていくことにしよう。我々は、関数とはその引数が徐々に変化する際にその値も徐々に変化するものを連続と呼び、値が突然の跳躍によって変化しうるものを不連続と呼ぶと述べてきた。これはまさに、かつての数学者たちを満足させ、現代の数学者たちにはもはや満足を与えない類の定義である。この定義について時間をかけて検討する価値はある。なぜなら、それに対する現代の反論を理解すれば、現代数学の精神を理解することに大きく近づくことになるからである。その
旧来の数学と現代の数学との決定的な違いは、「漸進的に」といった曖昧で半ば比喩的な用語が、現代数学の厳密な記述においてはもはや許容されないという点にある。現代数学は、数、量、変数に関する、この学問の基礎をなす少数の単純な概念のみを用いた記述、定義、論証しか認めない。二つの数の間では、一方が他方より大きいか小さいか、あるいは一方が他方の何倍であるかといった関係は成立しうるが、二つの数の間に「漸進性」という関係は存在しない。したがって、この用語は認められないのである。さて、これは一見すると、ひどく融通の利かない厳格さに思えるかもしれない。この非難に対しては、二つの答えがある。第一に、十九世紀の前半、何人かの偉大な数学者たち、とりわけアーベルが、
スウェーデン、そしてドイツのワイエルシュトラスは、その
かつての気楽な流儀で述べられた数学の大部分は、単に間違っていたのである。——マコーレー『ベーコン論』より
数学の確実性と哲学の不確実性を対比させ、修辞的な例として彼はこう述べている。「テイラーの定理に対して反論がなされたことはない。」
彼がこれほど悪い例を選ぶことはなかっただろう。というのも、この論文が発表された当時使われていた英語の数学教科書を精査することなく、