さて、疑いなく、これが数理物理学の世界と我々の感情、感覚、思考との関係に関する一般的な様相であり、このことをめぐって多大な論争が巻き起こり、多くのインクが費やされてきた。我々はただ一つの点に留意すればよい。見てきたように、この状況全体は、我々個々人のさまざまな感覚や感情を「説明」しうる外部世界を記述しようとする試みから生じたものであるが、しかし、その世界は
また、特定の感覚や特定の個人に本質的に依存するものでもない。そのような世界は、単なる巨大なおとぎ話にすぎないのだろうか?しかし、おとぎ話というものは空想的で恣意的なものである。もし真にそのような世界が存在するのであれば、それは厳密な記述に従うはずであり、その記述によって世界のさまざまな部分やそれらの相互関係が正確に決定されるはずである。さて、この科学的な世界は、かなりの程度において、まさにこの試練に耐え、その出来事が抽象的な数学的概念という装置によって探究され、予測されることを許容している。ここにおいて、我々の当初の仮定に対する帰納的な検証が得られていることは確かであるように思われる。帰納的な証明がいかなるものも決定的ではないことは認めざるを得ない。しかし、我々の個別の知覚とは独立して存在する世界という概念全体が誤りであるとするならば、なぜその世界に適用されうる数学的な概念の残滓を用いてそれを特徴づけようとする試みが、これほどまでに驚くべき成功を収めるのか、慎重に説明する必要があるだろう。