CodalSearch this book — or all of Codal…⌘K
nydus/An Introduction to MathematicsPublic
Page 127 of 243
Table of Contents

XII

自然界における周期性

自然の全生涯は、

周期的事象の存在、すなわち、言葉を無理にこじつけるまでもなく同一の事象の再来と呼べるほど互いに酷似した連続的事象の存在によってである。地球の自転は連続する日を生み出す。確かに、偶発的な現象を排除するように「日」の意味をいかに抽象的に定義しようとも、各日は前日とは異なるものである。しかし、「日」を十分に抽象的に定義すれば、二つの日の性質上の差異は希薄となり、実用的な関心からは遠ざかる。そして、各日は地球の一自転という現象の再来として捉えることが可能となる。さらに、太陽の周りを回る地球の軌道は、季節の年ごとの回帰をもたらし、自然のあらゆる営みに別の周期性を課している。これよりも根本的ではない周期性として、月の満ち欠けがある。現代の文明生活においては、人工照明があるため、これらの満ち欠けはほとんど重要ではないが、

古代において、日中は焼けつくように暑く、空が澄み渡る気候の地では、人々の生活は月光の存在に大きく左右されていたようである。したがって、宗教的な結びつきを伴う週や月といった区分は、シリアやメソポタミアからヨーロッパの諸民族へと広まったが、月の満ち欠けに従う独自の慣習は、ほとんどの国々で見られるものである。しかしながら、月の周期性が地球の歴史に最も大きな影響を及ぼしてきたのは、光と闇の満ち欠けを通してではなく、潮の干満を通してのことである。

私たちの身体的な生は、本質的に周期的である。それは心臓の鼓動と呼吸の反復に支配されている。実際、周期性という前提は、私たちが生命を捉える概念そのものの根幹をなしている。私たちは、出来事が進行するにつれて「これは以前にも起こったことだ」と言い得ないような自然の成り行きを想像することができない。経験を行動の指針とするという概念全体が、存在しなくなるだろう。人間は常に、過去の歴史のいかなるものとも同一性の基盤を持たない、新しい状況に置かれることになる。時間を量として測定する手段そのものが存在しなくなるのである。出来事は依然として一連の流れとして認識され、あるものはより早く、あるものはより遅く起こるとされるかもしれない。しかし、私たちは今や、こうした単なる認識を超えている。私たちは単にこう言えるだけでなく、

3つの出来事、 A 、 B 、 C がこの順序で起こった。つまり、 A は B より前に起こり、

127