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nydus/An Introduction to MathematicsPublic
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XVII

出来事の連続は、こうした量の概念を適用する主要な例である。(周期性について考察した際に述べたように)我々は類似した出来事の反復によって時間を測定する。均質な蝋燭が1インチずつ燃え尽きること、恒星に対する地球の自転、時計の針の回転などは、すべてこうした反復の例である。これらの型の出来事は、長さにおける物差しのような役割を果たす。これらの型の出来事がいかなるものであれ、その反復のたびに持続時間が完全に等しいと仮定する必要はない。必要なのは、例えばある型の二つの事例の相対的な持続時間を表現することを可能にする規則が知られていることである。例えば、我々が望むならば、地球の自転速度は減速しており、そのため各日が前日よりもわずかな秒数ずつ長くなっていると想定することもできる。そのような規則があれば、ある日と他の日の長さを比較することが可能になる。しかし肝要なのは、連続する日々のような一連の反復を標準的な系列として採用することであり、また、その系列の様々な出来事を等しい持続時間とは見なさない場合には、各日に割り当てる持続時間を他の日の持続時間との関係において規定する規則が明示されることである。

では、そのような規則が備えるべき要件とは何であろうか。第一に、それは常識が等しいと判断する出来事に対して、ほぼ等しい時間を割り当てるものでなければならない。日々の長さを極端に異ならせたり、一見似たような動作の速度を、そのわずかな違いからは到底考えられないほど不釣り合いに変化させたりするような規則は、到底受け入れられない。したがって、第一の要件は、常識と概ね一致することである。しかし、これだけでは規則を決定するのに十分ではない。なぜなら、常識とは大まかな観察に基づくものであり、極めて容易に満足してしまうからである。次の要件は、自然法則を可能な限り簡潔に記述できるように、規則を微調整することである。例えば、天文学者は地球の自転が遅くなっており、そのために一日が想像を絶するほどわずかな秒数ずつ長くなっていると述べている。彼らがそう主張する唯一の根拠は(周期性に関する議論で詳述するように)、そうでなければニュートンの運動法則を放棄せざるを得なくなるからである。維持するためには

運動の法則は単純であり、それらは時間の尺度を変化させる。この手続きは、十分に理解されている限りにおいて、完全に正当なものである。

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